「社内の風通しを良くしたいので、パソコンを使った情報共有システムを立ち上げてくれないか」
桜井ひろみが上司の伊藤課長からそう切り出されたのは、きのうのことだった。
経理との兼務で情報システム課に配属されて二年。ひろみにとっては、本来畑違いの分野での任命だ。思わず
「わ、私がですか?」
というセリフが口をついて出る。
「事務処理のコンピュータ化は進んだけどね、情報の共有という点ではウチはまだまだだ。これからは社内コミュニケーションの質とスピードだよ。それが、メーカーとして厳しい時代に勝ち抜く競争力や生産性につながる」
課内のミーティングでも話題に出ていたテーマだし、課長の言うことは理解できたが、ひろみは悩んでしまった。
何から手をつければいいのか、それがわからない。1日考えて、ひとりで考えてもムダだということに気がついた。
「実際に使う立場の人から、情報共有システムにどんなことを望むか意見を聞かせてもらおう。はじめに目的を明確にしておかないと、あとでもっと悩んじゃいそうだし」
ひろみは、営業部門のリーダー・本郷に連絡をとった。
「大役だねぇ、桜井さん」
会議室のテーブルにつきながら、本郷が笑う。
「茶化さないでください。必死なんです」
ひろみは力ない笑顔を返すのが精一杯だ。
「電話でもお話ししたとおり、情報共有の主役は営業スタッフになると思います。ユーザーの視点で、システムに必要なことはどんなものが考えられるでしょうか」
「うん。営業の中でも、日常の無駄な会議や連絡ミス、必要な資料を探す手間を解消したいという声は現実に出てるんだよね」
と、本郷は言葉を切る。
「そういう意味では、メールは当然として、連絡事項をのっける掲示板と、電子会議室、あと資料が閲覧できるライブラリみたいなものが必要になるのかな」
本郷の注文は具体的だった。きっと以前から、彼なりに情報共有の必要性を感じていたのだろう。メモを取りながらひろみは、本郷に相談した判断が正しかったことを確信した。
「あと実際使う時のことを考えると、大事なのは使いやすさだよね。操作が簡単じゃないと自分の作業のジャマになって逆に効率が悪くなるだろうし」
「そうですね。本末転倒ですよね」
「それと営業は社内にいないことが多いから、例えば出張先からでも24時間使えるとうれしいな。海外とか自宅からでもさ」
「なるほど…」
デスクに戻ったひろみは、まず本郷の話から要件を整理してみた。
<作業の妨げにならない簡単なインターフェース><出張先、自宅、どこでも24時間使えること>
既存のパソコンを使ってこれを満たすとなると、インターネット上に情報共有の場を作り、そこにアクセスさせる形しかないだろう。ひろみは気が重くなった。社内に自前でそういう環境を整えることの大変さが容易に想像できたからだ。とりあえず現実的に可能かどうかの判断は保留して、必要になる条件を思いつくままに書き出してみる。
<高額なサーバ機を社内に導入><24時間の運用体制を整備><万が一に備えてデータのバックアップ><掲示板、会議室、ライブラリ機能><会社への不正アタック防止のためのファイアーウォール>
自分が担当者としてそれらを管理する自信は全くない。しかし、求められていることをカタチにするにはそういうシステムが必要なのだ。
「一度これで課長に相談してみよう」
ひろみは課題点を書き出したメモを簡単な企画書の形にしてみた。